長崎くんち 意味・歴史・掛け声

江戸時代初期から続く長崎の伝統的な秋祭り

長崎市の諏訪神社で毎年10月7日から9日までの3日間催される秋祭り「長崎くんち」について、その意味や由来、歴史、有名な掛け声などについて簡単にまとめてみた。

長崎くんちは、中国やオランダなど南蛮・紅毛文化の影響を強く受けており、龍踊(じゃおどり)やコッコデショ(太鼓山)、鯨の潮吹きなど、力強くダイナミックな演し物(奉納踊)が大きな特色。

福岡県の「博多おくんち」や佐賀県「唐津くんち」と並んで日本三大くんちと呼ばれるが、長崎くんちはその中でも最大規模で、奉納踊は国の重要無形民俗文化財に指定されている。

写真:長崎くんち 籠町の龍踊り(出典:Wikipedia)

くんちの意味・由来は?

江戸時代には、長崎くんちは陰暦9月9日の重陽の節句(菊の節句)に合わせて開催されており、くんちとはこの「9日」を意味しているとする説が有力なようだ。

他の説としては、収穫した作物を神に供える日「供日(くにち)」に由来するとする説や、収穫を感謝して神社へ奉納される祭りの日「宮日」を意味するとする説などがあるが、これらは後付けの当て字ではないかと考えられている。

長崎くんちの歴史

長崎くんちの歴史が始まったのは、江戸時代初期の1634年、島原の乱が起こる3年前のこと。長崎で広まっていたキリスト教に対抗するため、長崎奉行が旧暦9月7日・9日を祭日に制定し、諏訪神社での神事を奨励した。

写真:長崎くんちが行われる現在の諏訪神社(出典:Wikipedia)

この諏訪神事(長崎くんち)は長崎市民の神事と認定され、以後町の拡大とともに様々な奉納踊りが加えられ、祭りの規模や演し物(だしもの)の種類も時代を経るごとに増加していった。

1778年には、くんち奉納踊りに初めて「鯨引き(鯨の潮吹き)」が登場。1799年にはコッコデショ(堺の太鼓山)が誕生し、1846年には「江戸町の兵隊さん」(オランダ軍楽隊)が加わった。

明治時代に入ると、陰暦が廃止されて太陽暦(グレゴリオ歴)が採用され、従来の暦と実際の季節が1か月ズレてしまったため、1875年(明治8年)、長崎くんちの祭礼日は太陽暦の10月7日・9日に変更された。

1957年には、蛇踊り・蛇船の表記が「龍踊り」「龍船」に改められたほか、1979年には、長崎くんちの奉納踊りが国の重要無形民俗文化財に指定された。

モッテコーイ、モッテコイ!

「モッテコーイ、モッテコイ!」は、長崎くんちを象徴する代表的な掛け声の一つ。

演じ終わって退場していく曳物や担ぎ物を「もう一度持ってこい」というアンコールの意味で使われたり、これから登場する出番前の町に対しても用いられることがある。

アンコールの意味で使われる掛け声としては、「ショモーヤーレ」なども使われる。語源的な意味合いとしては、「所望(しょもう)」や「(もう一度)やれ」といった言葉に由来すると考えられる。

フトーマワレ、ヨイヤー!

長崎くんちの掛け声としては、傘鉾(かさぼこ)が回るときの「フトーマワレ!」や回った時の「ヨイヤー!」なども有名。

「フトーマワレ!」は「太く回れ、大きく回れ」の意味。

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