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| レオナルド・ダ・ヴィンチ(出典:Wikipedia) |
レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci/1452-1519) は、。『最後の晩餐』、『モナ・リザ』などの精巧な絵画で知られるルネサンス期イタリアの巨匠。
絵画のみならず、彫刻、建築、土木、科学、数学、工学、天文学など種々の技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残した万能の天才。
レオナルドは1452年、イタリアのアンキアーノ村で生まれた。5歳からすぐ隣のヴィンチ村に移り住んだ。
ヴィンチ家は13世紀より続くヴィンチ村では名の通った血筋で、父セル・ピエロ・ダ・ヴィンチは公証人を務め、家は裕福であった。
母カテリーナ (Caterina) は農民あるいは木こりの娘といわれ、詳細は分かっていないが、ヴィンチ家に頻繁に出入りしていたとされる。
幼少期の彼は、原因は不明だが正当な教育を受けず、自然とともに暮らしていた。当時から左手で鏡文字を書いたと言われるが、これは彼が読み書きの教育を受けなかったためともされる。
15歳前後でフィレンツェに移り、画家見習いとしてアンドレア・デル・ヴェロッキオの工房に弟子入りし、ボッティチェッリらと共に学んだ。
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| クルーの館(出典:Wikipedia) |
この工房でヴェロッキオの絵画『キリストの洗礼』の一部を描いたが、その出来は師匠ヴェロッキオを驚愕させ、以後ヴェロッキオは一切筆をもたなくなったという逸話がある。
レオナルドに嫉妬したという説もあるが、工房の絵画部門は彼に任せて本業である彫刻に専念した、というのが真相らしい。
1482年から1499年にかけて、レオナルドはミラノ公イル・モーロに仕えながら、自分の工房を開いて独立。その後はミラノ、フィレンツェ、ローマ等を転々としながら活動を続けた。
1516年からは、フランソワ1世の庇護を受け、フランソワ1世が幼少期を過ごしたクルーの館(クロ・リュッセ)に招かれ、年金を受けて余生を過ごした。
レオナルドは1503年にこの絵を描き始め、3年かおそらく4年後まで筆を入れた。ポプラ材に書かれたこの絵は現在パリのルーヴル美術館に展示されており、同館の目玉的展示物となっている。 モナ・リザのモデルが誰であったのかはわかっていない。
ダ・ヴィンチのパトロンであったルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で描かれた絵画。キリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日に描かれている最後の晩餐の情景を描いている。ヨハネによる福音書13章21節より、キリストが12弟子の中の一人が私を裏切る、と予言した時の情景である。
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視覚デザイン研究所 画家自身の作品に対する言葉と、同時代の画家・作品に対する言葉、影響を受けた過去の画家・作品に対する言葉を、作品とともに紹介。先人の意外な影響、画家同志の交流、批判、ライバル意識などが垣間見える。 |