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| ゴッホ「芸術家としての自画像」(出典:Wikipedia) |
フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh/1853-1890)は、オランダに生まれ、主にフランスで活動したポスト印象派の代表的画家。名の「フィンセント」は「ビンセント」「ヴィンセント」と表記されることも。
ゴッホが画家を志したのは、27歳になった1880年のこと。ブリュッセルでデッサンの勉強を始め、1881年に実家の自宅に画室を作った。それまでは職を転々としていた。
現在でこそ極めて高い評価を得ているが、不遇の生涯を送っており、生前に売れた絵はたった1枚『赤い葡萄畑』だけであった。それでも弟テオドール(通称テオ)の援助でなんとか生活していた。
ゴッホは画家としての活動が約10年間と短い。絶対数としては油彩900点、素描1100点があると言われる。
傑作とされる作品はほとんどが晩年の約2年半(1888年2月から1890年7月)に制作されたものであり、知名度に比して、傑作・良作とされる作品数は少ない。
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| ゴッホ「 ひまわり」(出典:Wikipedia) |
花瓶に生けられた向日葵をモチーフとする。南仏のアルル滞在時に盛んに描かれた。 花瓶に挿された向日葵をモチーフとした油彩の「ひまわり」は7点存在する。
ゴッホは、南仏アルル在住時の活動拠点としてこの黄色い家を借り、2階を居室とした。ゴーギャンと共同生活を送った場所。
南仏アルルの跳ね橋をモチーフにした作品。実際のモデルとなった橋はアルルの中心部から約3キロほど南西の運河に架かっていたものだが現存していない。
南フランス・アルルの星空の下、人でにぎわうカフェテラスが描かれている。この絵でゴッホは初めて黒をあまり使わずに夜空を描いた。
南仏アルル在住時にいわゆる「耳切り事件」の直後に描かれたものだと言われる。
「耳切り事件」後、フランスサン=レミ=ド=プロヴァンスのサン=ポール・ド・モゾル修道院の精神病院で療養中に描かれた。
ゴッホの診察をした精神科医ガシェの肖像。ガシェは絵画愛好家であり、ポール・セザンヌやカミーユ・ピサロらの友人でもあった。
ゴッホが拳銃自殺を図った1890年7月に完成されたもので、「巨匠最後の作品」と位置づけられることがある。
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視覚デザイン研究所 画家自身の作品に対する言葉と、同時代の画家・作品に対する言葉、影響を受けた過去の画家・作品に対する言葉を、作品とともに紹介。先人の意外な影響、画家同志の交流、批判、ライバル意識などが垣間見える。 |